霊界にも色んなレベルがありますが現世の格差とは全く違います。現世のような地位や名誉や金銭欲や物欲や性欲の差ではなく自我のレベルの差でしょうか。
神様も諸天神はじめたくさんみえますがその総元締めは姿もなくエネルギーの根元になります。果てしなく遠い存在で我々人間が見ることはないと思われます。
守護霊や補助霊などは近くの存在でまだまだ修行中の身だと思います。然しながら肉体を脱いで魂となっているので我々より遥かに自由に飛び回り我々に影響を及ぼしてくる未熟な魂もあります。
私達が祈る先は近しい霊ではなく全てを顕された根元のエネルギーであるべきだと思います。
さすれば仏教もキリスト教イスラム教もありません。色んな宗派も根元のエネルギーから生じていると思います。元が一つであれば根元のエネルギー(神)を信仰すれば無駄な戦争は起きないのじゃないでしょうか?
全ての人間がその点に気付き信仰を深めれば随分平和な世界になるのですが肉体を背負ってると我を消すことは不可能に近くなります。人の姿をしている時点で我を持っているのだと思います。
この自我をコントロールして少しでも神に近づくよう生きることが私たちの命題ではないでしょうか。
目の前にキリストの像やお釈迦様の像があっても私たちの祈りの先は根元のエネルギーに向けらるべきなんです。
自分の信仰している神が絶対でなければ他者の信仰している神を排除することはありません。絶対神と言うのはその神々を生み出した根元のエネルギーだからです。
私はキリストもお釈迦様も大好きなのかもしれません。お人の為に尽くされた方に敬意と感謝を示すのは当然のことだと思えるからです。
神だけではありません。この現世にもお人の為に尽くされている方々はたくさんみえます。そんな方々にも同じ気持ちで居れば良いのじゃないでしょうか。
一日も早くレバノンの戦争が終わるよう祈らずにはいられませんm(__)m