負荷

様々な負荷

見えない世界を語るのは非常に難しいことですが日常生活に当てはめると案外ヒントになる場合があります。私のように神様という言葉が嫌いな人は愛の極限の力とか眩い光の集合体と思って意識を向ければ良いと思います。私は言葉が受け入れにくいですが分かり易くする為に全てを現わす力を神としましょう。

何故カルト宗教嫌いの人間が神だの愛だの霊だのと説くのでしょうか?例え見えなくても波動の法則として捉えれば納得のいく事が多いです。分かり易く言えば欲の大小で考えてみましょうか。魂である私達は肉体という修行着を纏(まと)ってこの物体次元に現わされてきました。肉体だけでも魂にとって大きな負荷なのに更に欲とか困難とか同行する魂といった負荷を背負って現わされてきました。聞いただけでゾッとするかもしれませんが、そういった負荷の大きい人は魂の目標計画が高い人に多いそうです。

物欲、性欲、支配欲などの欲は高い意識を持とうと頑張ってる人間の足を引っ張る事がよくあります。人間は高い意識から低い意識まで必ず持ち合わせています。高い意識とは欲のない意識で、低い意識とは欲に引っ張られたりどっぷり浸かってる状態です。

神は神でも

自分をさも神の分身であるかのような発言をする人が居ますが、非常に危険です。騙されるなと言ってもその共振の力は強く人間の低い部分に共振してどんどん増強しトンデモ教団ができてしまいます。どちらの側も修行ですが中々抜けられません。全てのものは神が現わされたとすると人間も確かに神の一部であると言えるでしょうがそれは余りにも幼い神の一部でしかないと思います。

霊格

道で倒れてる人を見て

  • 直ぐに駆け寄り助けようとする人
  • 誰かが助けるだろうと関わりたくないから見て見ぬ振りして立ち去る人
  • 全く無視して素通りする人
  • 邪魔な所で寝転んでやがると足蹴にでもしそうな人

魂の世界も人間の世界も同じです。色んな魂が混在しています。目標計画と現実がかけ離れてしまうと苦や困難などのサインを出して軌道修正しようとさせるようです。